会計の数値から経営状態の現在地を読み取り、今後の戦略を練る。当然といえば当然なのですが、それを単なる「数字」と見るか「メッセージ」と読み取るかによって、経営の質が変わると思っています。
数字の背景にある「顔」を見つめよう。
そしてAccounting(会計)は説明責任そのものであり、ビジョナリー経営の土台です。
私が学生時代に公認会計士試験に挑戦していたこともありますが、根本的に会計というものが好きです。ちょっとひかれてしまうかもしれませんが、あの複式簿記の「借方」「貸方」という2つの側面から取引を記録し集計すると決算書ができあがる仕組み自体、つまり簿記のメカニズム自体に感動していて、すばらしい発明だと思っています。仕訳って、ちょっとうっとりします笑
ただ、そのまま簿記オタクのままでいたとしたら、私は経営者にはなれなかっただろうなとも思っています(日商簿記1級は私が持つ唯一まともな資格なのですが笑)。
顔が見える会計
つまり財務会計の数字というものはその数字自体に意味があるのではなく、その数字の成り立ちに意味があるのです。経営や現場で働く方々の成果を表したものです。よりわかりやすく言うと、そこで働く人々の顔が浮かぶ数字として、それを見つめることができているのか?という自問を経営者はすべきだと思います。
すると事業そのものの取り組みと表裏一体のものとして会計数値が語られるべきであり、事業の内容そっちのけで「ROIの改善」とか「人件費率のコントロール」という目標が設定されてはいけないと思うのです。
予算は事業計画を貨幣価値的にあわらしたものであり、
決算は事業報告を貨幣価値的にわらわしたものであり、
それらは常にセットなのです。
Accounting と Accountability
また、ビジョナリー経営の根幹に社会一般や利害関係者からの「納得」「共感」が必要不可欠だと思っていますが、そのためのアカウンタビリティ、つまり説明責任を果たすための根拠として財務会計の数値は機能していると思っています。
社会福祉事業を営む私の領域では、「国や地方自治体からの公金をお預かりし、それを事業計画の方針に沿って活用し、児童や職員にしっかり還元し、公益性を果たしましたよ」ということを社会に説明するための決算書です。決算書そのものが事業報告書やアニュアルレポートと一緒になって社会へのメッセージになるのです。
会計はAccounting、説明責任はAccountability、語源が同じなのも納得です。