人材育成は私たちの幼児教育や社会福祉という生業を進める上でとても重要であり、むしろこれ以上の重要なものはないかもしれません。でも、「研修」という言葉にどことなく感じる受け身のニュアンスに私は違和感を持っています。
研修に参加するだけで人材は育たない。つまり「インプット」だけではダメ。
「アウトプット」こそが人を成長させる。
よく私の講演を聞いてくださった別の保育園の園長先生が私を職員研修に呼んでくださいます。「迫田さんの良い話を聞いたから、職員たちにも聞かせたい」という思いでお誘いくださいます。それはとてもありがたく光栄なのことですが、「それで本当にその保育園の職員さんは成長するのだろうか?」と疑問を持ってしまいます。
良い話を聞かせたり、良い書物を読ませたい、そんな感じでインプットばかりすることで成長したりスキルアップしたりできる人材は稀です。そのようなタイプの方は自己成長力が高いので、むしろ勝手に成長していってくれるありがたい存在です。
私が怠け者だからこそよーく自覚できているのですが、ほとんどの人が良い書物を読むだけで成長なんてできません。座学の研修に参加しただけで勉強した気になるだけで何も変わりません。
成長につなげるなら、その後にそこから得たことをアウトプットすることが必須です。
むしろインプットすらいらないかも
今「その後に」と書きましたが、インプットが前提にあることすら、もう受け身の象徴かもしれませんね。
自身の考えをアウトプットすること、そしてそのアウトプットを体系的に行うためのツールとして外からの要素を取り入れること、それだけでが大切なんだろうと思います。
子どもも大人も同じ。だって人間だもの。
これは実は幼児教育で語られる子どもたちの発達・成長の道筋と同じです。つまり、子どもたちへの教育的アプローチも
子どもは生まれながらに能力や個性を有している→だからそれを引き出すことが教育
という考え方が主流になりつつあります。主体性を育てるという文脈で語られる道筋です。
子どもたちも大人の育成も同じですよね。
アウトプットする前提として共通言語が必要
で、さまざまな価値観をもった職員ひとりひとりが、やみくもにアウトプットするだけでは組織力は向上しません。
そこで必要となるのが、理念の共有というプラットフォームなのです。
理念が共有されていない組織で各人がアウトプットしても、共通言語(プロトコル)がない以上が単なる自己満足で終わってしまいます。その辺り、また改めて書きたいと思っています。