私は経営に参画した際に2カ所だった保育園グループを、今のところは16カ所のグループに育ててきました。
そのほとんどが更地に園舎をいちから設計して建てるというかたちです。
建物の機能(スペック)は減退してゆきます。
でもその建物の意味(メッセージ)は倍増してゆきます。
まずは意見交換。これ大事。
保育園を建築するにあたっては、設計士の方に図面を引いていただきます。ただし、いきなり
お部屋の広さはどうしますか?トイレはいくつ必要ですか?動線はどうしますか?
といった質問をしてくる設計士さんとは組みません。
私は実際の図面の前に、とことんその建物や保育園そのものの意味、つまり「何のための場所なのか」ということを議論します。
このようなにとことん議論することがその後の建築にあたってとても重要であることを理解している設計士さんは、私の経験では少数派ですね。
誇りを託す場所
この保育園が何のための場所なのか?そんなことを話すと言うことは、つまりはこの地域でこの場所がどのような財産になってゆくべきかという思考で、そこで過ごす人々の暮らしに想いを巡らすことに他なりません。
そのことによって、時代が変わっていっても大切に受け継がれてゆくべき誇りのようなものを建物の命として吹き込むことができる気がします。
もちろんその表現にあたっては、予算の範囲内でできるかぎり上質な部材を使いたいですし、素敵な仕上がりは求めます。でもそれは「おしゃれな建物」というゴールを目指しているのではないことをご理解いただきたいです。「おしゃれ」を目指してしまうと、その建物の耐用年数の経過でその「おしゃれ」の定義やものさしすら変わってしまいます。
建築物は、その存在そのものが、地域社会へのメッセージだと思うのです。単なるハードウェアではないのです。
わたしたちが保育園にカフェを併設してつくってきたことの意味も改めて書こうと思っていますが、これも社会へのメッセージです。
さまざまな苦境がある
これまでの実際の設計にあたっては、数々の課題や制限が立ち塞がりました。
それは敷地のかたちであったり、地域の方々のご要望に沿うべき課題であったり、コストであったり、です。
何も制限のない案件は一つもありませんでした。いつかは自由そのもので何も制限のない設計をしてみたいと願ったものですが、実はそんなことは意味がありません。
制限をクリアしてゆくために頭をひねり、最適解をだしてゆくことそのものがとてもクリエイティブなことなのです。逆に言うと、制限があるからこそクリエイティブになれるのです。
ずっと愛される建築物であって欲しい
このように苦境をクリエイティブな精神で乗り切り、その保育園の意味を表現した建物です。そこは単なる箱ではありません。人々がそこで過ごすことが快適であり、誇りを持てるのなら、きっと愛していっていただけます。
そして、新しい時代の訪れによって、またその保育園のあり方を定義し直し、社会にメッセージを伝え続ける建物であって欲しいものです。