英語というツールがもたらしてくれるのは、話せる相手が増えることでのワールドワイドな商圏の拡大だと思われがちですがそうではありません。
英語がもうひとつの人格を生み出してくれて、自己成長力がアップする。
だからビジョナリーな視点に役立つ。
帰国子女でもないですし僕。
私は英語を身につけたのは25歳のころなので、割と遅めです。それまでは中等教育から英語の授業を受けていただけで、特に特別な英語教育を受けていませんでした。
25歳のときに半年間だけニュージーランドに短期の英語留学に行ったことが私の価値観を変えてくれました。
その留学は最初からうまくはいくはずもなく、なかなか自分の思いや考えを伝えることができずにもどかしい思いをしました。当時は映画「タイタニック」が公開されていることでしたので、ひとりで3回ほど映画館に観に行って英語のシャワーを浴びたりしたものです。
でも今思えば、ディカプリオってめちゃめちゃ発音がわかりにくい俳優さんですよね笑
環境に応じて生まれてきた、もう一人の自分
もどかしく、どうやって外国のコミュニティで立場をつくってゆくかというときに、いつの間にか僕の中に別の人格というか、別の性格をした自分が生まれていました。簡単に言うと、単刀直入、ズバリ、結論から言う、みたいな性格です。
その自分がそれまでの自分にプラスされて、TPOに応じて2つの自分を使い分けるようなハイブリッドの感覚で様々な状況を乗り越えてきたのです。
これはもしかしたら、理性と感性、理論と情緒、短期と長期、といった対局にあるものを組み合わせてゆく思考につながったのかもしれません。
ハイブリッド=ビジョナリー
私が考えるビジョナリー経営の定義の一つに「理性と感性のバランス」があります。
それはアートとサイエンスのバランスと言い換えることができるかもしれません。その両方に軸足を置きながら組織づくりをしてゆくことが僕の強みなのだとしたら、もしかしたら英語を身につけるというプロセスが効いているのかもしれないなと思っているのです。
サイエンスの能力が高く、ひたすらに理詰めで組織づくりをしてゆくタイプの経営者は、いつのまにかやっていることが「運営管理」であって経営でなくなっていることが多いです。
アートの能力が高く、感じたことに忠実に経営判断をしてゆくタイプの経営者は、足元の経営状況を見失うことが多いです。
その両方をいったりきたりしながら経営をしてゆきたいですね。わたしも課題山積ですが、この点について迷いはありません。
この両極性については、全ての場面でも同様の事が言えると思います。 宇宙のバランス陰陽そのものですね!
今の地球もバランスを崩しているからSDGという循環社会の必要性に迫られているのでしょう!
男性性・女性性もその一つ。 これからますます女性性の役割が増えていきますね。海外で生活する経験は本当に見る視点の幅を広げてくれるし、新たな自己発見にもなりますね!
みんな一度は祖国を離れ別の視点から世界を見てみるといいと思います!